特別障害者手当
こんなご時世ですが、まだコロナウィルス感染者が増えだす前のこと、遡れば入院前の11月だったかに、利用者さんから、「手当でお金もらえるの知ってる?」と、この特別障害者手当を教えていただきました。
「こんな身体でもずっと何十年と付き合ってくれてる奥さんにわずかだけどご褒美を、という気持ちでこの手当を支給してもらってる」と話してくれた利用者さん。
これは、義両親も知らないまま過ごしてきてるはずだし、もらって充分な条件満たしてるし、月に2万7千円ちょっともらえるだけでもありがたいと思って、旦那と相談して、まず特別障害者手当に必要な書類を役場に聞きに行きました。これがまた沢山(笑)
・障害者手帳のコピー
・年金通知書などの写し
・それぞれの障害に対応した診断書(うちの場合は肢体不自由)
・認定請求書
・世帯全員が載ってる住民票
・本人の戸籍謄本または抄本
・所得状況届
・同意書
・口座振替申込書
・債権登録申請書
etc…
コピー以外の書類をもらって、ひたすら記入。
診断書を主治医に書いてもらう前に旦那が入院したため、書類書きは一時停止。
退院後、診断書書いてもらい、やっとこないだ役場に提出できました(・・;)
ほっとしたのも束の間、この記事を途中まで書いた後にまたもや旦那入院_(┐「ε:)_
前回とは別件で。
病院はコロナ対策が徹底され、基本面会禁止で、付き添う場合は主治医の許可制。病棟に来てすぐ検温して37度以上だったら、面会かないませーん。そして付き添いも毎朝検温。
初日は、荷物持ちすぎて汗かいて行ったら、体温高くなってて危ういところだった…
コロナウィルス早く収まれー!
師走の退院
12月初めからの病院生活は、先日を持ちまして無事に終止符を打ちました。
やっと我が家に2人そろいましたぁぁぁ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
入院中はだいたい付き添いで一緒に泊まっていたのですが、仕事のため家で寝ることもありました。
そんな家で一人で寝てる時に限って、ドンって音がして目が覚めたり、逆に無音すぎて目が覚めてしまい、ここがどこだか分からなくなったり_(:3 」∠)_
病院は、コール音やら電話の呼び出しやらいろんなメロディーで賑わってるのでそれに慣れたんでしょうね。
あのメロディーたちお世話になりました。
在宅でずっと生活していると、ルーティーンというものが出来上がります。
それにヘルパーさんも関わってきます。
しかし、長期入院になるとほぼリセットされます。生活動線が消える感じ。
この入院がチャンスなのです。
家でより過ごしやすく、動きやすくするための。
それで、今回位置替えを決行しました。
まず、基本的に日中は、車椅子でパソコンの前に居るのが定位置であること、
睡眠のためにベッドに移るくらいなので、一日中ベッドということはよほど体調が悪くない限りありません。
そこを踏まえて、、、
呼吸器に関しては、今までオーバーテーブルの右端に置いて、オーバーテーブルごと回路が届く位置に動かしていました。
イメージ図↓
退院後は、小さい二段ラックワゴンを使用することにしました。
というのも今回から、カフアシストが違う機械にかわり、すぐ使える位置にある必要が出てきたため、呼吸器とセットがいいと思ったのです。
なので、このようにしてみました↓
上段に呼吸器と加温加湿器、中段はカフアシストに使う回路とラップ、下段にカフアシストを置いています。
延長コードを、寝る時用と日中用の2カ所にあらかじめセットしています。
これでしばらく過ごしてみる予定です。
主治医の先生、本当にお世話になりました。これからもお世話になります。
病棟の看護師さんたち、お世話になりました。
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以前、心がパンクしたわたしの話。
訪問介護員として働きだして、3年程経った頃のお話。
高校の先生から卒業の際、就職先で3年頑張ったら仕事に慣れるから、と強く言われていた。
その3年頑張りすぎたのだろう、親に「もう無理」と吐きだした。
その時までに、息切れ、動悸、訳もわからず涙が出る、家では横になってテレビを観るしかできないなどひどい状態になっていた。
原因はわたしの事情も含めていろいろ。
労働時間が契約時間の倍ぐらいになっていたこと。
完ぺきを求める利用者に振り回され、今のようにさらっと"流す"ことができず思いつめたこと。
ヘルパーができることの範囲を超えた要求をされたこと。
一日休みになるのは希望を出した日だけで、余裕なんてなくなる日々。月3日くらいだったかな。
うつ状態なんだろうと察しがついたが、精神系の薬は飲みたくなかったので、優しくはっきり言ってくれる漢方外来の先生によく聞いてもらい、漢方薬で徐々に戻っていった。
一番回復に効いたと思うのは、仕事以外での楽しみな目標を作ること。
その時できたのは、イタリア旅行にひとりで行く!という目標。サンマリノ共和国に惹かれて、サンマリノに接しているイタリアにも惹かれた。
そのために、貯金、諸々の準備をするのに自分が全部しないといけないので、計画を立てながら動けるようになった。
一人旅を達成することで、心も落ち着いた。
わたしなりのどん底に落ちてみて、そりゃあきつかったけど、それがあるから限界も分かった。いい経験である。
二の舞にならないようにほどほどに頑張る!
どんなに小さな目標でもそれを達成すること、それまでの過程は誰にとっても生きる糧となると思う。
今の目標は……
旦那さんと仲良く生活を続けること。
利用者さんの口文字がすらすら読めて今以上に会話ができるようになること。
ぼちぼち進みましょう(*´-`)
※先日、水族館に行った時の一枚。癒されてきました(o^^o)
何気にすごく嬉しかったこと
仕事で久々に筋ジスのおじちゃんのところに訪問しました。
まだ私の家族のことを話してなくて、今回やっと話すタイミングがきました。どこに住んでたことがあって〜、実家はどこで〜、旦那さんも筋ジスで〜…なんて話してたら、共通点が出てきて盛り上がりました。
そんな私の境遇を知ったおじちゃんから、「旦那さんになる人がこの病気だと分かってて結婚したんでしょ?私はあなたを大表彰したい」と言われました。
純粋に隣にいたいから結婚したんですけど、そう言われると嬉しくなります(*'▽'*)
健常者の方々から褒められると、嬉しいけど私は当たり前に生活してるだけだし、とひねくれますが、同じ病気の当事者とその家族からの褒め言葉は、気持ちを共感してくださったうえで言ってくださるので、余計に嬉しいですね。
このおじちゃんは奥さんにもまめに感謝を伝えてあるんでしょう。自分のことを話されるとき、奥さんへの感謝が必ず出てくるから。私も意識して伝えて、おじちゃん夫婦以上に仲良くありたいと思います。
時にはやる気が出る料理の話。
わたしは料理が苦手なのに、訪問介護に就職し、他人の家であれこれ料理を作り、家でももちろん作らないといけません。
18歳で就職したての頃は、応用が利かなくて、他人の家で一食分の献立を作るとなればテンパってしまってました。当時は、クックパッドなんて知らなかったし(スマホの出だしの頃で)。
幸い、元料理人の利用者さんが何人かおられ、逆に教えてもらうという相乗効果。
それから月日も経ち、器用にとは決して言えませんがレパートリーが増えてきました。
そのレパートリーに家で作れる新たなものを含めるべく、昼食はタンドリーチキンに初挑戦。
基本2人とも大食いではなく、2人で一人前くらいの量だと思います。
*タンドリーチキンの作り方*
〈材料〉
・鶏もも肉 一口大を4切れ
・牛乳 50㎖ + かんたん酢 小1くらい(合わせて混ぜておく)
・クミン 小1/4 くらい
・コリアンダー 小1/2
・カイエンペッパー 小1/3
・ターメリック 小1/2
・ガラムマサラ 小1/2〜2/3
・にんにく、しょうが チューブ 適量
・ケチャップ 適量
・塩 少々
〈作り方〉
①上記の材料を全てジップロックに入れ、よく揉み込み、冷蔵庫で2時間〜半日寝かせる。
②フライパンに少量の油、またはクックパーを敷き、皮目からじわじわ焼く。
③焼き目がつき、中まで火が通れば完成!
ちなみにご飯は、IHを使ってお鍋で炊いてます。先日テレビで、みりんをちょっと入れて炊くとツヤ?てり?が出るとやってたので、控えめに入れて炊いてみました。いつもより輝いてた気がします!
旦那さんが居ることで、美味しく作ろうというやる気も出ることが判明しました。
なので、いろいろ作るようになれてきたのは旦那さんのおかげです。
エアフィルターの役目
呼吸器をRESMEDのアストラルに交換して、約4ヶ月。
今回はエアフィルターについて。
エアフィルターとは、呼吸器に空気を送り込む吸気口というところにセットされているもので、ホコリや微粒子などを防いでくれます。
鼻毛のような役割とでもいうんでしょうか。掃除機のフィルターみたいな。
業者にそのエアフィルターを前もってお願いしてたのに、なかなか持ってきてもらえず、やっとのことで持ってきてもらえました。ほんとは汚れ具合によっては2、3ヶ月でエアフィルターを交換しないといけないのですが、4ヶ月程経っての交換になってしまいました。
案の定最悪の状態に… そんなエアフィルターがこちら↓
左の細長いのがエアフィルターですが、もともと新品は真っ白なんです。
ホコリなどをこの細い全身で受け止めてくれた結果、みるも無残な姿に…ギャーΣ(゚д゚lll)
ここまでよく頑張ってくれました(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
まさに"塵も積もれば山となる"状態…
右側にあるフィルターは呼吸器と回路の間につけているフィルターですが、こいつも1週間もすればグレーっぽくなってきて、2週間経てば交換します。
以後気をつけて交換しようと思った次第でした。